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このブログは 現在57歳母である私と25歳次男である僕とで、これまでの子育てに関して親の立場で考えたことが子供の立場ではどうだったのか?親として伝えたかったことが伝わってたのか?などをやり取りしてます。
の後には母親である私の投稿。
の後には息子である僕の投稿です。
こんにちは。
寒くなってきたら学校や幼稚園、保育園などで開催されるマラソン大会。
子供達の会話で繰り広げられるにんじん方式が違和感でしかなかった話。
マラソン大会に限らず、子供にやる気を出させるためにご褒美をちらつかせる事。
馬の鼻先に人参をぶら下げる
これってことわざだったんですね。
私、知らなかったんです。
テストで100点取ったらとか、運動会で1番だったら○○を買ってあげるなど、ご褒美をちらつかせる事をにんじん方式と周りも言ってたからそのまま使っていました。
年が明けたらマラソン大会シーズン。
パパと一緒にランニングしたり、子供ながらに頑張って練習をする子達もいます。
そんな頃、子供達の間で

マラソン大会1番やったらママがゲームソフト買ってくれるねん
とか

マラソン大会10番以内やったらパパがUSJに連れて行ってくれる
とか。
長男の時には耳に入らなかっただけなのかも知れませんが、次男の時はやたらとこの話が。
で、うちの次男が

マラソン大会1番やったら何買ってくれるん?
の当たり前のように質問してきました。

なんで?1番やったら自分が何より嬉しいやんか。
それだけで十分やろ?
マラソンは順番じゃなくて、最後まで一生懸命走る事が大事やねんで。
ちょっと「どういうこっちゃ?」と言いたげな顔をしていましたが、うちは何番だろうと何も買ってはくれないんだと理解はしたようでした。
マラソン大会で好成績を残すと親に何か買ってもらえるという話が学校内でよく上がっていました。
ただ母が言うようにお兄ちゃんの時はそんなことなかったようです。
僕の時はよく耳にしていたとのこと。
たぶんそれは、僕自身が足が速く小学一年生の時、マラソン大会で1位を獲ったからだと思います。
それからマラソン大会の時期になると、先頭集団のライバル的な友達からそんな話をよく聞いていました。
お兄ちゃんは足が速いわけでもなく、どちらかというと体育会系ではないほうなので、そのような話はなかったんだと思います。

なるほどな、長男の時も先頭集団の子たちの中ではそんな話あったのかも(^^;)
うちは特に何か買ってくれる訳でもなかったんですが、ただ1番になりたいという子供らしい負けず嫌い根性みたいなものが原動力になっていたんでしょう。
ただ1位を獲ると褒めてくれるんです親が。

そりゃそうよ、自分も子供の頃のマラソンの辛さを経験してるから。
でも1番じゃなくても最後まで走ったらほめてたよ。
すごいやん!よーがんばったね!
だたその言葉だけでも十分だったんでしょう。
僕以外の友達みんなも何か買ってほしいわけではなく、この言葉が聞きたいというのあったと思います。
親に褒められて嬉しくない子供なんていませんからね。
ただその褒められたい欲が強すぎて逆効果になるパターンの無きにしもあらず。
下記の母の記事ぜひ参考に。
長男が小5の時のマラソン大会で、1番2番がデットヒートでした。
その時1番になった男の子は、運動も勉強もでき生徒会もしたりする子。
残念ながら、それだけの子だったので男の子の間であまり人気はなかったんです。
2番の子は勉強も運動も普通だけど、とても優しい子。
次の年、小学校最後のマラソン大会です。
また同じ2人がデットヒートに。
沿道で見学していたお母さん達が(もちろん私も)小さな声で2番の子をがんばれがんばれと応援していたんです。
きっと本人にも伝わったんでしょう。
ゴール手前で抜き去り1番に。
その時、10人程のお母さんが
「やったぁやったぁ〜」
と、バンザイしました。
ふとみんな我に返って、
あらっ、はしゃぎすぎたわ(@_@;)
という顔。
すると
パチンッ
音がする方を見ると

1番じゃないと意味ないねんよ!
と、2番になった息子をビンタするお母さんが。
当然みんな凍りつきましたよ。
周りの保護者達はびっくりしたと同時に
みんなの前で可哀想……
という顔でした。
今だったらもう児童虐待と言われて警察沙汰もあり得ますよね。
一体あのお母さんのビンタには何の目的があったんだろう?
1番になれなかった事が悔しかったのか?
ただ、腹が立ったのか?
周りの保護者がもう1人の子を、応援していたからか?

我が子を自分の評価と考えてる親の典型的な例やな
後日談ですが、最後のマラソン大会で1番になった男の子のお母さんからこんな話が。
当日、お母さんは仕事の為見学に来ていなかったんです。
子供が帰宅後マラソン大会で1番になったと報告したあとに

めっちゃしんどかったけど、最後の方で〇〇君のお母さんとか、〇〇ちゃんのお母さんとかがめっちゃ応援してくれてん。
と言ってたそうです。
伝わってたんだ!ちょっと感動!
大きな声を出して応援してたわけじゃなかったけど、ジェスチャーや表情から応援してもらってると分かったから最後の力が出たんだ(^^)
いくら先生からなんでもできる良い子と思われていても、普段の学校での様子をそれぞれの保護者は子供から聞くので、親達は少なからずクラスメイトに良い印象や悪い印象を持ちます。
うちのような地方では保育園からずっと知ってるメンバーなので顕著です。
だから保護者までもが応援したくなるような子だと、自分の力に限界が来ても、周りの応援でもう一踏ん張りできちゃったんだな。
もちろんにんじんをぶら下げられていませんでしたよ。
せっかく本人がただ単純に1番なりたいと思っていても、親がにんじん方式を提案した途端に、それを手に入れるが為の努力になってしまいます。
そんなもったいない事ありませんよ。
なので、我が家では子供自身の頑張る意欲を削がないためにも、何に於いてもにんじん方式を取り入れる事はありませんでした。
順位ではなく完走した事を褒めてあげなければ、運動が不得意な子、どうするんですか?
うちみたいな地方は、子供の顔ぶれが保育園からほとんど変わらないので、にんじん方式を取り入れるお家は毎年決まっていて
「今年は〇〇君とこ何買ってもらうって?」
なんてちょっとネタにしちゃってました( ̄▽ ̄;)
結果、そういうお家に子って中学3年まで1番になってなかったんですよね。

子供の純粋かつ単純な気持ちには思わぬところに落とし穴があります。
みなさんも経験したことあるんじゃないでしょうか。
良かれと思ってした行動が裏目に出たりなど。
今回はマラソン大会を例に挙げています。
何か買ってもらいたいがためにいい順位をとるというのは、本来のマラソン大会の目的を見失っていますよね。
それは、親が順位を気にしているからこそ起こることだと思います。

ほんと、順位を気にしすぎる親多すぎ!
本来マラソン大会とは、
- 体力作り
- 諦めない気持ちを養う
- 負けたくないという闘争心を養う
- 自分で決めたゴールに達成するための能力を養う
このような意味合いがあり昔からの伝統行事といっても過言ではないでしょう。
しかしそこに物が絡んでくると、目標を④に設定してしまいます。
なんのためにがんばるのかも大切なことではあるんですが、僕が思う一番大切なことは、
努力して掴んだことに対する達成感
だと思っています。
しんどい思いをして、それでも踏ん張り、努力が報われたときの達成感は子供の時に経験しておくべき必須条件なのかなと。
この記事を読んだ次男がメールで幼稚園からのマラソン大会の順位を書いてきました。
全部覚えていたんですよ、1年生の時1番だったみたい、全然覚えてなかった私m(__)m
それだけ思いで深い行事だったのは間違いないですね。
小学5年、6年の残念な順位のところには(反抗期)と言い訳がましく書いてあって、地味に面白かった(*’▽’)
自分の子が1番だとそりゃ嬉しいんだと思うのですが、にんじんをぶら下げなくても1番だと一段と喜びが大きくなるんじゃないですか?
そんな風に喜びが増幅するチャンスをみすみす逃してしまっている様なにんじん方式。
理由がなくても、ご褒美がなくても一生懸命頑張る子に育てる事ってとても大切。
大人になったらそうそう褒められる事はないし、ましてやご褒美をもらう事など皆無に等しいでしょ?
今、このブログを読んでる方の中で、日々褒められてるよ、日々ご褒美もらってるよって人いたら挙手してくださ〜い!