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このブログは 現在57歳母である私と25歳次男である僕とで、これまでの子育てに関して親の立場で考えたことが子供の立場ではどうだったのか?親として伝えたかったことが伝わってたのか?などをやり取りしてます。
の後には母親である私の投稿。
の後には息子である僕の投稿です。
こんにちは。
今回は、私の周りにちょこちょこいる欲のない子。
でも、欲って生きていくうえで全てにおいて何かしら関わっているんじゃないかなの話。
お誕生日やクリスマス、合格のお祝いなど、
「何が欲しい?」
という問いに
「特にないなぁ」
と言う子供。
さとり世代やゆとり世代は欲がないと世間では言われているそう。
さとり世代とゆとり世代とは一般的に1987年から2004年生まれの人のことを指すそうです。
うちの息子達はこの世代なんですよ(^^;)
先日友人が

姪っ子が高校に合格したから、合格祝いに何が欲しい?って聞いたんだけど、別に何もないって言うねんよ。
私が15才の頃なんか欲しいものばっかりやったけどなぁ。
と言ってました。
確かに、私も15才の頃はとにかく洋服、靴、バッグなど欲しい物が果てしなくあり、早く高校生になってバイトしたい!と思っていました。
欲のない子がいるという事実に衝撃を受けました。
そもそも欲が無いことなんてあるの?とまで思うぐらいです。
僕は、自分のやりたい!してみたい!ということは無くならないし、無くすべきではないと思っています。
欲こそ行動の原動力になるからです。
何かをしたいがために、何かを我慢したりその何かに向けて努力したり行動を起こすことは大切なこと。
欲が無いとそんな経験もせずに大人になってしまい、がんじがらめの大人社会に蝕まれ気づいた頃には定年退職をして老後を意味なく過ごす。
大げさに言えばそんな風に僕は思っているので、
そうはなりたくない!もっと人生を楽しまないと!という欲が今の原動力になっています。
つまり、人間たるもの欲が無いと行動できないんです。
そう思えるのは行動力のある両親の近くにいたからこそなのかなと思います。
長男の小学校の入学式。
校長先生の話の中にとても印象に残るお話がありました。

いい子に育てる方法はたくさんありますが、ダメな子に育てる方法はただ一つ、なんでも与える事です。
ちょっと変な言い回しですが、言わんとしている事は理解できました。
長男の入学式、迷いながらの子育ての中に、ほんの少し指針みたいなものを感じ取り、常に頭の片隅にその言葉がありました。
さっきの友人の話には続きがありました。

姪っ子はどっちの親にとっても初孫で、小さい時から何でも持ってたんよ。
4人のじじばばが先回り先回りであれこれ買い与えてたから欲が無くなったんやわ。
そう言われてすごく納得しました。
欲しいと思う前になんでもあれば、欲しいという感覚がなくなっていくって事だなと。
その定義に当てはめるとなるほどなと納得してしまう子がいます。
結局、校長先生の話にあったようになんでも与える事が原因の一つだと思います。
なかなか手に入らないからこそ、欲しい気持ちがどんどん募っていく。
一生懸命働いて、節約もしてやっとの事でそれを手に入れた時の達成感は忘れられません。
だから、また欲しい物が出てくると、あの達成感を思い出しなんとか手に入るようあれこれ努力する訳です。
私も高校生3年生の時に中型2輪免許を取るための教習所代と、バイクを買う費用をためる為にせっせとバイトに励んでいました。
そう考えると欲って、生き生き生活する活力源ですよね。
うちの息子達はゲームも買ってもらえなかったし買い物の時に欲しがる安いお菓子でさえ、毎回買う事はありませんでした。
金銭的に余裕ある生活ではなかった事もあって、結構我慢させる事は多い方でした。
その頃は我慢ばかりで可哀想かなと思ったりしましたが、あの時の我慢のおかげなのか、ガッツリゆとり+さとり世代なのに十分過ぎるほどの欲をもった大人に育ってます( ̄▽ ̄;)
世間で増えているニートといわれている人達には、この欲があまりない人達が多いように思います。
欲しい物、やりたい事、行きたい所、はあっても、それを叶えるために働かなければならないぐらいなら、要らない、しない、行かないって結論になるんでしょう。
逆に欲のある人は、欲しい物を買う為、やりたい事をする為、行きたい所に行く為、一生懸命働くっていう結論なんです。
タイトルにもある欲が無いことで起こる副作用について。
副作用という表現が正しいか分かりませんが、欲が無いとこうなるよという感じで思ってください。
・行動力が無くなる
・働く意味を見出せない
・自分を見直す機会が減る
説明していきます。
これは前述にある通りです。
欲こそ行動の原動力。
何かをなし得たいがための行動ができない、またはする意味を感じられない、する必要が無い等によって行動する機会が減り徐々に行動しなくなると思います。
欲の中にもいろんな種類があり、その中でも物欲と食欲に当てはまるものについて。
あれがほしいや、これがほしいなどの物欲や、食べたいという食欲などの願望に対価としてお金を払うことがほとんどです。
またそのお金は働くことでしか手に入らないことが多いです。
一部例外はありますが。
母も言うように、欲が無いのであれば働く必要もないかもしれません。
そんな考え方を持った人たちの末路がニートと言われる人たちなのでしょう。

でも、ニートって結局扶養してくれる親などがいてこそ成り立つものよね?
頼る親がいないと欲が無くても生活していかなきゃならないんだからニートではいれないやん。
欲望のために行動し、我慢も努力もする中で、本当に必要なものなのかどうかを考えるときって結構あると思います。
買ってみたら実は必要なかったり、買わなくて後悔することもあったりと、その度に自分が成長するように僕は感じています。
そして本当に必要かどうかの優先順位を作り、それに従ってそれ相応の行動をすることも学ぶので、一番効率が良くなおかつコスパのいい生き方ができます。

失敗から学ぶことの典型やね。
そういう今の自分を見直す機会は成長していくうえで大切なことで、これから先の未来をどう豊かに暮らしていくかの裁量を判断できるようになることが僕の目標でもあります。
私は物欲よりもやりたい事の欲がたくさんあります。
テレビっ子なので、テレビで見て
わぁ面白そうやな、やってみたいな
これおいしそうやな、食べてみたいな
ここきれいやん、行ってみたいな
そう感じるとすぐ行動するタイプ。
周りの人に
「その行動力、感心するわ」
とよく言われるんですが、やりたいとか行きたいとか食べたいと思ったら、やらずにはいられないし行かずにはいられないし食べずにはいられない性格なんです。
私は欲が無ければ、何を目標に生きていけばいいのか分からなくなってしまいそうです。
去年、テレビでタレントさんが大きな木を気持ちよく切っている映像を見ました。
わぁ、面白そう、いつかチェーンソーで大木を切ってみたいわぁ・・・
どこか普通のおばちゃんにチェーンソーで木を切らせてくれるとこないかなぁ~
と思いググってみると、県の営林組合主催のチェーンソー資格受講講習会を発見。
でも、年に一度しか開催されておらず、それを見つけた時にはすでに申し込みが終わった後でした。
来年こそはと常にホームページをチェックしながら、ついに先月申し込み、参加できることになりました(^^)
欲に溺れてしまってはいけませんが、人生を楽しむための欲はなくてはならないものです。
人生すでに半分を過ぎている私、残りの人生は死ぬまでにやりたい事、行きたい所、食べてみたい物をリスト化して一つ一つ叶えていく人生なんだろうなと思います。
与え過ぎず、適度な我慢をさせ、欲を持った子供に育てれば、生き生きとした大人になってくれるはずです。